ほっけさん農園の物語

誰にも見向きされなかった休耕田が、みんなの畑になるまで。

今のほっけさん農園の畑

子どもの頃の「ほっけさん」

近くのお寺があるこの辺りを、子どもの頃は「ほっけさん」と呼んでいました。東南寺川でオイカワやフナを捕り、田んぼを走り回って遊んだ懐かしい場所です。

農園の名前は、この呼び名からつけました。

神戸での日々と、ふるさとへ

大学を卒業してからは、就職のため神戸に移り長くサラリーマンとして暮らしました。農業とは縁のない毎日です。

大津に戻ってきたのは、定年と両親の介護がきっかけでした。

はじまりは、家の裏の小さな畑

最初に野菜作りを始めたのは、今のはじめて畑(ばたけ)がある家の裏の畑でした。畑から琵琶湖へと続くその小道は、昔ご先祖さまが飼っていた馬を湖のほとりまで洗いに通った道で、「馬洗い道(うまあらいみち)」と呼ばれていました。その呼び名から、「うまあらいみち農園」と名づけました。

農業の知識も経験もありませんでした。アグリイノベーション大学で一から学びながら、オカラぼかしを使った土づくりに出会いました。甘夏の木の下でオカラぼかしを作り、季節の野菜を育てながら、四季それぞれの特徴や植え付けのタイミングを体で覚えていきました。

はじめて畑

はじめて畑

誰も見向きしなかった休耕田

ふるさとには、何年も誰にも手をつけられていない休耕田がありました。

「この場所で、何かできないかなぁ」

2023年2月、防草シートを剥がすところから開墾を始めました。草刈り機で枯れ草を刈り、知り合いに22馬力のトラクターで強い根を起こしてもらいます。ススキやガマの根っこは抜くのも焼却処分をするのも本当に手強いものでした。

元は田んぼなので水はけのために堀を6本、手で掘りました。馬糞を入れ、緑肥を育てては砕いて土に漉き込み、何度も耕します。夏の終わりには彩りにひまわりを蒔きました。

そうしてようやく、ジャガイモとニンジン、玉ねぎ、ニンニクが育つ畑になりました。初めて採れたジャガイモはホクホクで、ニンジンは驚くほど甘い。家族でカレーパーティーをしました。

たくさんの手で、畑ができた

小屋を建てる。区画の看板を作る。農具にシールを貼る。棚をこしらえる。防草シートを貼り、資材を運び込む。

一つひとつの作業に、たくさんの人が手を貸してくれました。みんな楽しそうに作業してくれて、「ここに来るとワクワクする」と言ってくれた人もいます。湖西線から見える大きな看板も仲間が描いてくれたものです。

仲間が描いてくれた農園の大看板

仲間が描いてくれた農園の大看板

野菜のイラストが描かれた小屋の小窓

道具小屋の中の様子

手づくりの個人用の棚

2025年5月、ほっけさん農園をひらく

2025年5月、管理人付きの貸農園「ほっけさん農園」を開きました。

どんな方に見つけてもらえるか不安でした。けれど、ホームページを見て、知人の紹介で、お子さんの通学途中に畑を見かけて、たくさんの方が見学に来てくださいました。

6家族で始まった畑は、秋には9家族に。みなさんと一緒に夏野菜の苗を植え初めての冬を越し、春野菜を収穫して2年目の夏を迎えました。

小屋を見た小さな見学者さんたちは、「基地みたい!」と目を輝かせます。

畑の仲間との集まり

ほっけさん農園ひらく

ほっけさん農園ひらく

ほっけさん農園ひらく

ここが、みんなの「小さなふるさと」に

畑でみなさんとお話ししながら作業していると、ほっけさん農園が紡いでくれたご縁を感じます。

一度ふるさとを離れた私にとって、ここは新しい「ふるさと」になりつつあります。この畑が、みなさんにとっても、そんな場所になれば嬉しいです。

甘夏の木の下を歩く畑の仲間

永田 集(ながた つどう)
ほっけさん農園 管理人

大津市下阪本生まれ。大学卒業後、神戸で会社員として長く働く。定年と両親の介護をきっかけに大津へ戻り、アグリイノベーション大学で農業を一から学ぶ。2023年に休耕田の開墾を始め、2025年5月、ほっけさん農園を開園。週2回ほど畑にいます。

元サラリーマンから農業をはじめた永田集

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